それでも生きるあなたへ

立ち去る猫

5年後に退職いたします

役員さんの退職危機を乗り越えようやく安心しかかっていたところに新入社員からの退職宣言。社長は青ざめていた。一難去ってまた一難という気分だったろう。お世話になった人だしかわいそうではあったが仕方ない。俺は俺の人生を優先させなければならない。

なぜ入社早々退職宣言したのか?

良い会社であればずっと働きたいと思うし嫌な会社であれば退職したいと思う。誰だって同じだと思う。俺がいた代理店は決して嫌な会社ではなかった。だが、報われない会社ではあった。最初はピンチを救ってくれてありがとうありがとうと言っていた社長もそのうち慣れ、感謝や尊敬が薄れていった。仕事というものは立場が違えどお互いが感謝尊敬し合わないと成り立たない。そこに信頼が生まれるのだ。残業代も出ないのに毎日深夜まで残ってノーヒントで初見の書類整理をする、お客さんに頭を下げ下げ仕事の効率化とリスク回避をする、そんなハードスケジュールでも新規顧客獲得のため挨拶状をしたためDMを出す、そんな頑張り屋さんの新入社員に対して返ってきたのは

「ウチは残業推奨してないから。」

「キャッシュレスはいいけどクレカ払いはやめてね。」

「DMは管理がめんどいから中止で。」

という三点セットだった。しおしおしおとやる気が失せていった。残業推奨してないなら書類整理しといてくれよ?今時現金領収じゃなく全件キャッシュレスにしといてくれよ?そのツケで毎日午前様まで仕事してるのにDMやらずにどうやって新規営業すんだよ?言いたいことは山ほどあったし、「御社の尻拭いを今俺がやってるんだよ!」と叫びたかった。聡明なる社長であればそこに気付いてくれると思っていたが世の中そんなに甘くない。当初は取り組んでいる仕事の意味を説明していたがどうにも負けず嫌いな人でいつも途中からただの"相手を言い負かしてマウント取るゲー"になってしまうので建設的な答えは出ず、時間の無駄・ストレスの増加につながるので社長と議論するのはやめた。

社長に質問することも議論することもアイデアを出すこともやめた瞬間、会社を辞めようと決意した。俺自身報われないし、会社に対し100%のポテンシャルを発揮しない社員を雇っていても社長も損だろうと思ったからだ。お互いにとって得なことが無いのならそこにいる意味は無い。仕事と恋愛はよく似ていると思う。

あらゆることを考えての「5年」

なかなか「あと5年で辞めます」と言う奴はいない。俺も見たことがない。5年という時間にはちゃんと理由があったが、まずは退職宣言して心がスッキリした。それまでは好きな社長だったしなんとかこの会社を良くしよう、でもなぜわかってくれないのかと葛藤があったが退職宣言とは絶縁宣言だ。もう会社を良くしようと提案し、無意味なマウントゲーでストレスを負うこともない。

退職を5年後としたのはまずお客さんたちに対する配慮。役員さんから引き継いだ大切なお客様。5年で信頼できる仕事を全うすればその時俺が「富士山見たいから辞めます。」と言っても「お前バカだな。しょうがねぇなわかったよ。」と笑って許してくれるだろう。重要なのは5年でそのような関係をお客さんと築けるかどうか。

次に会社に対する配慮。社長や同僚に対しても5年間しっかり仕事することで迎え入れてくれた恩を返していく。会社を大きくする提案はしないけど、次の担当者が引き継ぎしやすいよう、俺のような辛い思いをしなくて済むよう徹底的に社内整備を進めていく。保険業は人材育成に時間が掛かるので、新人発掘・育成も5年という準備期間があれば余裕をもって着手できるだろうという見立てだ。立つ鳥跡を濁さずという言葉があるがここまで会社のことを考えて辞める奴もいないんじゃね?何より貴重な人生の5年という時間をあんたにくれてやると言っている。本来青ざめるより涙を流して感謝される場面だと思うが仕方ない。まだわからないだろう、この言葉の真意と重みは。

そして最後の理由として自分の年齢。5年後は45歳になっている。45歳ならまだ身体は動くだろう。年を取り気力が萎え、旅に出ることを諦める前に行動に移したい。だからそのギリギリは45歳か?人生の先輩であるお客さんたちを見ているとどうもそんな気がする。

そんなあらゆる理由で決めた。「5年」だった。
かくして俺は入社1年目から5年後の退職日へ向けた仕事を開始することになった。

立ちはだかる北の王と南の王

そんな折、どうしても満期更新の2ヶ月前手続きに協力しない社長が2人いた。しかもちょうどウチの顧客住所の北限と南限に。なんでよりによってお前らなんだと。ドラクエかと。ボスってなんで都合よくマップの端っこにいるんだよ、そこに行くまでに沢山のモンスターと戦わなきゃならないし遠くてめんどいんだよと子供の頃からRPGゲームで思っていたがリアルにいた。俺はそんな彼らに敬意を表し、それぞれ"北の王""南の王"と呼んでいた。彼らは急かされるのが嫌いで「まだあわてるような時間じゃない。」が口癖の最悪の夏休みのともギリギリボーイズだった。しかも金が無く、よく保険料を滞納していた。経営者としてどうなのそれと思っていたが大切なお客様なので誠心誠意お世話していた。きゃつらはよくアポイントもスッ飛ばした。約束した時間に訪問しても留守なんてことはザラで、電話すると「あー、じゃあ明日の9時に来て!」で終わり。そういう時はまずゴメンナサイって言うんだよとご両親に習わなかったのだろう。激動の昭和が生んだ悲しき謝りたくないおじさんである。ちなみに彼らの住所間は車で2時間ほどかかるが、ある時奇跡が起きて同じ日に保険料の未払いによる契約失効が発生。急ぎ再契約に来てくれと言われた。謝りたくないおじさんズとはいえ大切なお客様なので急遽スケジュールを変更し契約書作成の上ダッシュで北のギリギリ王のもとに手続きに伺うと留守。電話すると「2時間後に帰ってくるけどねー。」もちろんゴメンナサイは無い。次の予定があるのでその後また来ますと2時間かけて南のギリギリ王のもとに急いだがこちらも留守。「あぁ、明日来て。」もちろんゴメンナサイは無い。その後また踵を返し北へ2時間。そこからさらに30分待ち北のギリギリ王の再契約手続きをなんとか終えた。奇跡のダメ人間コラボレーションだった。もうやだこの仕事!と帰りの車内で叫んだことは言うまでもない。

そして伝説へ…

その後北のギリギリ王は夜逃げして飛んでしまった。南のギリギリ王はある日会社に電話してきて「お前のとこの担当者がズルしてくれなかったから保険金もらえなかった!代理店変える!」と去っていかれた。どちらも元気にしておられるだろうか?またいつか人生のどこかでお会いする機会があればその時はどうかよろしくお願いいたします。絶対に話しかけないでください。