それでも生きるあなたへ

天を目指して木をよじ登るセミの抜け殻

というわけで
会社を辞めて旅に出よう

機は熟した。あと目が覚めた。もともと家族のためにやっていたこの仕事、もう家族がいないのだからやる必要ないではないかと。そんなことよりこれから先の人生、本当にやりたいことをやるべきではないかと。それが今まで何事も我慢させてきた自分自身への贖罪となるし、本来の『おもしろいことしかしねえ!』という己の人生哲学に沿った生き方になる。一人になった今、誰に遠慮して生きる必要があろうか。よっしゃそうと決まればとりあえず仕事を辞めて旅に出よう。「休日はポイント使っておトクに温泉旅行してぇ~☆」的なポイ活女子のぬるい旅じゃねぇぞ。向かうは青木ヶ原樹海だ!と言ったところで当時まだ付き合う前の彼女がボロボロ泣きながらそれはやめてくれとすがりつくので、富士山が見たいだけで青木ヶ原樹海はそのついでであり別に死にたいわけではないと説明すると「手が届かなくなる前にちゃんと付き合っておいてくれ」と言われたので我々は正式にお付き合いすることになりました。なんやこの話。

夜の街に咲いていた電球たち

子供の頃から旅好き。知らない町の匂いを嗅ぐのが好きで、知らない音や言葉を聞くのが好き。当時と今とで何が一番違う?と聞かれたら「看板!」と即答する。あの頃の看板はとにかくネオンが多かった。青や赤や黄色の電球が四角い看板のまわりをクルクル点滅しながら「←IN」とかも電球文字でできていた。家族で出掛けた帰りに知らない夜の街を車窓から眺めると地元じゃ見たことないような派手な飲食店のピカピカ看板や赤紫の怪しい光を放つラブホテルの看板、贅の限りを尽くしたパチンコ屋さんの射幸心を煽るまばゆい看板など実に様々な電飾看板があった。今でも田舎の峠道とか走ってると昔潰れたお店がそのまま残っていたりするが、そういう店に出会ったら看板を見てほしい。きっと当時の電球たちがまだそこにいるはずだ。真っ暗で不気味な峠道を照らし、通る人にホッと一息の安堵を与えていた優しい夜の案内人。バイクで走る山道で何度彼らに勇気をもらったことか。ほんと気持ち悪いんだよ、灯りのない山道は。

光の当て方も時代と共に随分変わった。今はもう建物も看板も斜めに当てた照明でフワッと夜に浮かび上がるが当時はバチッ!とその存在を国道に向けてアピールしているお店ばかりだった。間接照明なんて言葉も聞いたことない時代、あるのは「直接照明」。どんなお店も「俺やで!」と全力でスポットライトを浴びていた。だから知らない街に行くと見たこともない電飾の自己主張強いお店があったりしてまるで外国に来たかのような驚きと、もしこんな異国の地でおろされたら絶対に生きて帰れないという不安があった。当時は今みたいに全国チェーン店なんてほとんどなく地元の個人店だらけだったので建物や照明がとにかく個性的で、それだけ遠くの、土地も文化も違うところに今お前はいるんだぜと街の灯りから教えられているようで楽しくも怖かったのをよく覚えている。

「昔のパチンコ屋さんの看板は「パ」の字がよく消えていた」というのもこの時代。あの時代のパチンコ屋さんは看板にも建物にも電球文字でどデカく「パチンコ」の文字があり、「パ」がよく消えていた。今考えればそれだけでも電球何個も替えなきゃいけないので大変だったろう。しかも当時のパチンコ屋さんは今みたいにお客さんのプライバシーに配慮した中が見えないつくりではなく国道に向かって店内丸見えのオールガラス張り電飾ビカビカ仕様だったので電気代も恐ろしい金額だったと思われる。幼い頃、叔父に「パチンコ屋さんの電気ってすごいねぇ!」と言ったら、

「その電気代を払いにみんな行ってるんだよ。」

と教えられたことがある。あれが私が人生で初めて触れた経済学であったろうと思う。とにかく当時の夜の街はパチンコ屋さんに限らず様々なネオンに彩られていた。LED電球なんてまだ無い時代の話。今よりもっと夜が暗くて明るかった時代の話。

とりあえずお前は我慢な?

今でもよその町を歩いて楽しいのは子供の頃の異国感を思い出すからだろう。こんな所があったのかというドキドキ感と、こんな遠くまで来て大丈夫なのかというおそるおそる感。何歳になっても、何度旅行してもこの感覚が消えることはない。もっといろんな所へ行ってみたいしいろんなものに触れてみたい。そういえばせっかく日本に生まれたのに富士山すら見たことない。飛行機から見たことはあるけれどで~んと目の前に聳えるマウント・フジは拝んだことがない。横浜の街はどうだろう?行ったことない。鳥取砂丘は?見たことない。青森のりんごは?スーパーで売ってるのすら見たことない。憧れていた東京藝大の上野キャンパスは?受験会場が両国国技館だったし不合格だったから敷地にすら入ったことない。あれもこれもそれもテレビで見たことはあるけど行ったことない。行ってみたいなぁ…あれ?行けるじゃん。俺が行こうと思えば行けるじゃん。なにを「行ってみたいけど、でもなぁ」みたいなテンションになってんのよ。あぁそうか、今まで散々「お前のやりたいことは我慢な」て言ってきたからだよな。いの一番にお前の気持ちを無視し続けてきたからだよな。だから自分のやりたいことをやるのが悪のような感覚になっちゃったんだな。俺は今まで俺をどれだけ無視し、いじめてきたのだろうか。黙殺し、却下し、我慢させることが家族や他人のためになると思ってた。でももう違うよ、今のお前は行けるんだよ。お前を連れてってやるよ。好きなだけお前の行きたい所へ。

善は急げ。どうせ考えても未来はわからない。

翌日、退職宣言をした。「すいません飽きたので辞めます。」と上司に言ったところ青天の霹靂で面食らっていた。そりゃそうだろう、別に職場に不満もないしトラブルもない。彼からすればなんの前兆もなく突然起きた異常事態なので何度も慰留を受けたが「飽きたので。」を正直に繰り返し諦めていただいた。引き留めてくださったそのお気持ちはありがたく大切に胸にしまい5年勤めたその会社を後にすることにした。これで遠慮することなく旅に出られる。結婚していたとき全てのお金を妻に渡していたが離婚する時は借金がかなりあった。彼女は何をやりくりしていたのだろうか?この際別れる家族のためにちょうどいいやと全ての借金を俺名義にして背負って家を出たので金はないし返済どうしようかと思ったが「借金があるから」とか「家族がいるから」とか「もう少しお金が貯まってから」とか"人はやらない理由を言い出したらキリがない"ということを仕事柄学んでいたのでとりあえず行動することにした。なんとかなるやろ。なんとかすれば良いし、彼女が泣かんでいいようにだけすればあとは全力で俺らしく生きればよし!

人生の歯車を強制的に逆回転させた男の無謀な旅が始まろうとしていた。

さぁ出発!その時、誰かが後ろから肩をつかんだ。