それでも生きるあなたへ

札幌時計台

そして時は動き出す

そして5年後…

というと某少年誌の急な最終回のようだが、都合10年間いた保険業界のおもしろ話は機会があればまた追い追いということにして、ともかく入社してすぐ「5年後に退職します!」と宣言した代理店を5年満期で勤めあげ退職の日を迎えた。ギリギリとなったが後輩も無事入社し引き継ぎも完了。お客さんたちには驚かれたが「今の地位を捨てて富士山?バカじゃねぇの。s」と笑って許していただいた。心底残念がって旅が終わったらいつでも戻ってこいと言ってくださる方もいた。ありがたい。5年前に目指していたお客さんとの関係構築はひとまず合格点に達したのではないだろうか。さらにありがたいことに社長が送別会を開いてくれ、「あの時入社してくれなかったらウチは本当にどうなっていたかわからない。いっぱいいっぱいで胸が潰れるような思いだった。本当にありがとう。」と涙ながらに感謝の言葉をくれた。俺もこの社長の下で働けて良かった。もともと好きな社長だったし、何より代理店の仕事のレベルが高かった。保険代理店のレベルは千差万別で仕事の精度に雲泥の差がある。"保険は何に入るかより誰から入るかだ"とよく言われるが本当にその通り。ウチの社長はたしかに口が悪く(なんでそんな言わんでいいこと言うの…?)という純粋にマイナスでしかない部分で損している人ではあるが真面目で優しくおもしろい人で、保険約款を読み込みお客さんのために保険会社の支払い担当者と渡り合うようなプロの保険マンだった。そこから学ぶことは多く、顧客情報については質問しなくなっていた俺も保険の技術的な部分については大いに勉強させていただいたし、多くの実戦的なアドバイスをいただいた。保険マンとしての最後をあの代理店で過ごせて良かったと思う。それくらいプロフェッショナルな現場だった。

社長がもっと物言いに気を付けたり相手の立場に立って考えることが得意な人であれば退職宣言をすることもなかっただろうが、それは社長の性格を根っこから変えろということなのでもういいのだ。それを言えるのは恋人か家族か、これからもその人と共に何かを成しえていく覚悟がある人だけ。俺はそこまで強いる気もないし、社長もそれでもいいと思ってくれる人と仕事すれば良いだけのこと。そんなことより俺は心から、彼の保険マンとしてのプロの腕前を見せてもらったことに感謝している。前々から世話になり好きだった社長。それは今でも変わらない。たくさんの事を教えてくれてありがとうございました。あなたと共に働けて幸せでした。

さぁ旅に出…

保険マンとしての全ての業務を終了し、さぁいよいよ旅に向けて!と意気込んだが退職後の各種手続きだ国民健康保険切り替えだ住民税だと役所に数回足を運ばねばならなかった。ハローワークに行って失業保険の給付申請もせねばならないし、ありがたいことに保険業界のいろんな人がお疲れ様会をやってくれたりして仕事を辞めてもしばらく忙しかった。当初はまず退職次第自転車で1ヶ月ほど旅に出てみようと思っていたがちょこちょこ予定が入るのでスケジュールが組めない。そうこうしている内に期日が来た。ハローワークで募集している職業訓練校の応募締め切り日である。なかなかすんなりとは旅に出られないが送り出してくれる人たちに感謝し、焦らず準備を進めていくことにした。

人生を変えた職業訓練校

職業訓練校というのは一定期間以上雇用保険に加入していた労働者が退職後に失業給付を受けながら通える再就職のための専門技術習得プログラムのことである。正式名称は『公共職業訓練』という。ちなみに平成28年に決定した愛称は『ハロートレーニング』というそうだ。みんな「しょっくん」とか「訓練校」と略すが「ハロトレ」と言っている人に会ったことがないので行政のいつものやつで定着していないのだろう。今風にたとえるならそんなモーニング娘の姉妹ユニットみたいな名前で流行るわけがないのだ。だが愛称はさて置きこれはとてもありがたい制度で、失業給付金をもらいながら学校に通いその分野の専門家から再就職に役立つ技術を学ぶことができるという、本来ならお金を払って通うスクールにお金をもらって通うようなものでこんな貴重な機会はない。失業給付金としてもらえるのは退職前のお給料の約5~8割。それも非課税で、さらに学校までの交通費も支給されるところもありがたい。こんな素晴らしい制度を利用しない手はないので退職したら絶対に職業訓練校に行くと決めていた。10年以上前にも訓練校に通ったことがあったが、そこで学んだパソコンの技術のおかげでのちの保険業界に就職できた。訓練校がなければキーボードを右手の人差し指でツンツンしながら「ワードってなに?sパワーポイント?SNKの格闘ゲームの名前?え?なに?…エ……クセ…ル?」とか言っていた当時のアナログ人間の俺にパソコン必須の保険業なんて絶対無理だったし人生かなり変わっていただろう。ひょっとしたらおでんツンツンおじさんとして逮捕されていたのは私の方が先だったかもしれない。そんな獄中からすんでのところで救い出してくれた職業訓練校というものに心底感謝しているし、今度は旅に出る自分を助けてくれる技術を学ばせてもらいたい。

ここからもういよいよ旅がはじまっているのだ。離婚してドン底に倒れていた俺が生きる価値という光を求め地上に這い出す。止まっていた人生の時計の針がようやく動き出すのである。

多いなら 少なきにゆけ ホトトギス

ハローワークで自分が求めるスキルを教えてくれる職業訓練校を探す。間の悪いことにこれだ!と思った2つの職業訓練校の応募締め切りが同じ日だった。応募できるのは一ヶ所だけ。しかもそれぞれの所在地はギリギリ通学できる北限と南限。かつての北の王・南の王を彷彿とさせ背筋に冷たいものが走るが、職業訓練校とは毎月毎月同じ訓練プログラムが募集されているわけではなく3ヶ月毎とか4ヶ月毎とかはたまた1年に1回しか募集しないプログラムもあったりするので失業給付期間が尽きる前に自分に合ったプログラムを選び応募する必要がある。そうしないと訓練校に通っている間失業給付金が支給されないからだ。そうなると無収入になるので霞を食べながら訓練校に通わなくてはならないし、クラスメイトから「おいあのおっさん霞食べてるぞ!気持ち悪いからいじめようぜ!」と激しい暴力を受けるに違いない。それだけは避けたい。この歳で母親から「学校で何かあったのかい?」と心配されるのは御免だ。何が何でもタイムリミットには間に合うようにせねばならぬ。ちなみに失業給付期間が残り1ヶ月で6ヶ月間の職業訓練校に通った場合は訓練修了までの6ヶ月間支給が延長される。大変ありがたい制度だ。そのような兼ね合いもあり北か南どちらの訓練校に応募すべきか迷っていた俺は敢えて締切日にハローワークに向かった。

「北と南、それぞれ現時点で申込者数どうなってますか。」と。

「北が定員20名に対し応募43名、南が同じく20名に対し12名です。」「南にしますよろしくお願いします。」と。

職業訓練校に通うためには面接と学科試験による足切りがあるため北は無理だ。だって考えてごらん?これから社会を支える労働力を生み出すため職業訓練を実施しようという時にピチピチの20代とヨボヨボの45歳が来たらどっちを合格させますか?20代でしょう。俺が面接官でもそうするし、「ささ、お帰りは段差に気をつけて。」と45歳に杖を渡して帰らせますよ。自分が社会にとってそんな年齢であることは百も承知の私は、だからこそ長い人生経験で培った知恵を駆使し締切日に応募状況を把握した上で確実な方にBETするという、若者からしたら「ずっりーなおっさん!」と指弾されるようなクレバーな手法をとったのである。

わはははは!これが大人というものだよキミィ!無策に2倍以上の倍率に応募するからいかんのだ!そのまま敗れ去りついでに給付期間も尽きてしまえばいい!あー愉快愉快!

繰り返す、俺が面接官だったらこんな45歳には杖を渡して帰らせる。